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SNS における「チェーン日記」付記:チェーンは「観察」するものなのか
こちらもご参照ください:
- 「チェーン日記」について
- その他の「チェーン」関連
「チェーン日記」の問題点については、上にリンクしたこれまでの記事でひととおりのことは申し上げたつもりですが、
元記事があちこちで採り上げられ、
Google 検索などで見る限りどうやら「マイミクAID」についての標準テキストのひとつになっておるらしい状況に鑑み、私自身の「立ち位置」についてひとこと強調しておく必要を感じ、この記事を追加します。
私だけでなく、ある程度のネット歴がある人にとっては、「なぜ『チェーン』 がいけないか」を聞き返されるというのは、正直なところ、「なぜ人を殺してはいけないのか」を真顔で聞かれたかのような困惑を感じることなのですが、
実際にそういうタイトルの本が出てしまうような世の中ですので、チェーンについても機会あるごとに、できる限りていねいに、また客観的に述べてきたつもりです。
ここでいう客観的というのは、
「何がいけないか」に集中するということです。
成り行きで、新潟以来チェーンとの格闘を続けて参りましたが、これまでの経験から、
話が「誰がいけない(いけなかった)か」に流れてしまうと、吊し上げ大会になってしまい、肝心な「何がいけないか」の議論がどこかに行ってしまう、という印象を強く持っております。
問題の呼びかけ文中に指定された連絡先であった mixi 内のコミュニティが削除されて半月以上たってなお、散発的ではあるものの「コピペ」があるというのは、確かに憂うべき事態ではあります。
しかし、一部で行われているような「観察」行為=
公開のコミュ二ティに、「現場」へのリンクまで添えて、公人でも専門家でもない、まったくの一私人の日記を「晒し上げる」ような行為に、何か意味があるのでしょうか。
事態収拾のために、チェーンの伝播状況についての情報を集めることは必要だったでしょうし、私自身も一連の記事を書くためにそのような場所を参照もしましたので、そういう場の存在そのものまで否定するつもりはありませんが、このような「晒し上げ」行為の必要性には強く疑問を感じています。
そのような行為について法律的に問題があるかないかという話をしているわけではありません。
従来型のものでも関わった人達の心に傷を残し、
友人関係を可視化するシステムである SNS においては文字どおり人間関係を破壊してしまいかねないチェーンに、不注意に関わってしまった人に、まずは穏やかに諫言するというならともかく、いきなり晒し上げて傷口に塩をなすりつける行為に、何の意味があるのか、という疑問です。
チェーン日記の伝播状態・改変状況についての報告だけが目的であれば、個人日記の転載や「現場」へのリンクは不要だったのではないかと考えます。
繰り返しになりますが、ここで私が提起しているのは、法律的に上記の行為に問題があるかないかといったことではなく、なんのために「観察」するのか、
そもそもチェーンというのは「観察」するものなのか、という疑問ですので念のため。
その点に強く違和感を覚えていたため、結局「観察」の拠点となっているコミュ二ティとは距離を置いたままの形で、現在に至っております。
あちこちで私の記事が参照されている現状に鑑み、この点について明記しておく必要を感じましたので、この記事を追加しました。
(おことわり)
元記事をご覧いただければわかるとおり、私はあくまで(事の経緯や関係者の意図を斟酌することはせず)一般論としての「チェーン(日記)」についての議論に徹することを意図しております。関係者の希望に反しますので、
記事を書くきっかけになった事件それ自体について議論する意志はありません。ついては、この記事のコメント欄も閉鎖させていただいております。あしからずご了承ください。