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6月3日:谷岡太郎総長(谷岡学園)学園葬
去る5月1日、神戸芸術工科大学の設立母体でもある
谷岡学園総長・谷岡太郎先生が亡くなられた。台湾出張中に副学長の携帯に訃報が入って、一同驚いたものである。本日は午後より学園本部のある大阪商業大学で合同学園葬。
大学のオープンキャンパスとバッティングしてしまったので事務方は大変かもしれないが、私は今回は非番なので参列させていただきます。
私自身はお会いする機会がないままのご逝去であったが、副学長の齊木先生と台湾にいる最中の訃報だったので、齊木先生から神戸芸工大開学にまつわるエピソードを聞かせていただくことができた。
神戸市の要請を受け、私財を投げ打って現在芸工大がある土地を購入され、初代学長の吉武泰水先生とともに、文字通りゼロから作り上げたのが、現在の神戸芸術工科大学である。
先日先生の本を拝読する機会があった。芸工大開学は1989年のことで、この本は1982年の刊行なので、まだ芸工大が影も形もないころであるが、「問題校」のレッテルを貼られて荒廃の一途をたどりつつあった大阪の高校の建て直しを引き受けられ、付属高校として再生されたときのお話を書かれたものである。
繰り広げられたのは、タイトルに恥じない荒療治であり、内外からの抵抗・反発には壮絶なものがあったろうと想像するが、それでも初志を貫徹され、見事再生に成功なさって現在に至っている。
芸工大開学までの道のりもなかなか険しいものであったとうかがっているが、その「信念と愛情」の教育の精神の炎は、本学にも生きていると信ずる。
私は、その情熱あふれるチームの一員に招かれたことを名誉に思うし、招かれたからには、非才の身であることは自覚しつつも、だからこそ全身全霊をもって、その火に油を注いでやろうと思っている。
まぁ、どこに行っても騒ぎを大きくするのが私の特技らしいので(最近ようやく多少は自覚が出てきたらしい(苦笑))……暑苦しくてすいませんm(__)m
と、いうわけで、ぼちぼち支度して出かけます。
黒服でオープンキャンパスをウロウロするわけにも行かないので、本日は直行・直帰の予定。(10:45)
13:30 より式典に参列。大阪商大地元・東大阪市出身の「塩爺」こと塩川正十郎元財務大臣(現・東大阪市名誉市民・東洋大学総長)を始めとそうそうたる顔ぶれによる弔辞が続くが、故人について語る誰もが強調するのは、その苛烈な生き様に比して寡黙な先生のお人柄と、その穏やかな笑顔であった。
先生のご冥福をお祈りいたします。
黒服でそうそう寄り道もできないのでそのまま直帰し、近所の本屋だけちょっと覗いて帰宅。今の自宅に引っ越してから、外が明るいうちに帰ってきたのは初めてのような?
木曜からようやく自宅でもフレッツ光でつながるようになっていたが、回線速度が 10Mbps を切ってしまっていたので、仮にも光なんだからさすがに 10M 切っちゃいけないだろうと設定を調整(って、専用ソフト任せだが)したところ、とりあえず13-14Mbps くらいまでは改善。
マンション型 VDSL で、無線 LAN(802.11g 接続)も経由したノートパソコン (ThinkPad X31) での数字なので、まぁこんなもんか?
その他日記の書きそこないとか落穂拾いもしたかったんだがいつの間にか寝ていたらしい(4日朝追記)。