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08/01/01 00:01 - Hiro - - TrackBacks(No Trackbacks) - Permalink
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Home > ケータイ小説というものに挑戦してみた(Yoshi『Dear Friends』)
ケータイ小説というものに挑戦してみた(Yoshi『Dear Friends』)
先日ふと魔がさして映画を見てしまったので(^_^;)、この機会に「ケータイ小説」というものにも挑戦してみました。
文庫で約200ページを1時間半くらいだったかなぁ(^_^;)
映画の方は、まさに今が旬の美少女ヒロイン二人の勢いで一気に最後まで見せてしまうので、あまりにぶっ飛んだ設定に突っ込みを入れている間もないのですが(笑)、本で読むと……キてるわこれ(^_^;)
逆ナンも援交(ともちょっと違うけど)も酒もハッパも何でもありで(といっても淡々と「そういうことがあった」と書かれているだけで大してエロティックな描写があるわけでもないんですが)、今どきの若い女の子にはこーゆーのがウケるのか? というのもこの際脇に置いといて。
それより違和感が強かったのは、文章自体は読みやすいんですが……もともとケータイの画面で見るように最適化(^_^;)されてるんだから当たり前と言えば当たり前なんだが……なんというか「行間」というものが全くないんですよね。
「行間」といっても印刷書式の話ではもちろんなくて、「行間を読む」の行間で、つまり何がいいたいかというと、登場人物の思っていることが、全部直接書いてある。登場人物のセリフや、所作の描写から読者が想像するであろう登場人物の感情も、いっしょに書き込まれちゃってるんですよね。「文脈から察する」ということをほとんどしなくても読めてしまう、というか、する余地がほとんどない。
作者から読者へのメッセージも、本文中にちゃんと書いてある(^_^;)
故にメッセージを誤読する余地はないが、読んで考える余地もない。*1
おたくの端くれとして、いわゆる「ライトノベル」の類やアニメ作品のノベライズとかも読みますが、というかけっこう好きですが(^_^;)、売れてる小説でこういう印象をここまで強く持ったのは今回が初めてでした。
これがスタンダードになりつつあるのだとすると、学校で国語(文学)、あるいはネットリテラシー/メディアリテラシー関係(「嘘を嘘と(以下略)」)を教える先生は大変そうだ、などと、ぜんぜん本編と関係ないことを思ってしまったのでした。
(追記)映画の感想についてこちらも参照:
文庫で約200ページを1時間半くらいだったかなぁ(^_^;)
映画の方は、まさに今が旬の美少女ヒロイン二人の勢いで一気に最後まで見せてしまうので、あまりにぶっ飛んだ設定に突っ込みを入れている間もないのですが(笑)、本で読むと……キてるわこれ(^_^;)
逆ナンも援交(ともちょっと違うけど)も酒もハッパも何でもありで(といっても淡々と「そういうことがあった」と書かれているだけで大してエロティックな描写があるわけでもないんですが)、今どきの若い女の子にはこーゆーのがウケるのか? というのもこの際脇に置いといて。
それより違和感が強かったのは、文章自体は読みやすいんですが……もともとケータイの画面で見るように最適化(^_^;)されてるんだから当たり前と言えば当たり前なんだが……なんというか「行間」というものが全くないんですよね。
「行間」といっても印刷書式の話ではもちろんなくて、「行間を読む」の行間で、つまり何がいいたいかというと、登場人物の思っていることが、全部直接書いてある。登場人物のセリフや、所作の描写から読者が想像するであろう登場人物の感情も、いっしょに書き込まれちゃってるんですよね。「文脈から察する」ということをほとんどしなくても読めてしまう、というか、する余地がほとんどない。
作者から読者へのメッセージも、本文中にちゃんと書いてある(^_^;)
故にメッセージを誤読する余地はないが、読んで考える余地もない。*1
おたくの端くれとして、いわゆる「ライトノベル」の類やアニメ作品のノベライズとかも読みますが、というかけっこう好きですが(^_^;)、売れてる小説でこういう印象をここまで強く持ったのは今回が初めてでした。
これがスタンダードになりつつあるのだとすると、学校で国語(文学)、あるいはネットリテラシー/メディアリテラシー関係(「嘘を嘘と(以下略)」)を教える先生は大変そうだ、などと、ぜんぜん本編と関係ないことを思ってしまったのでした。
(追記)映画の感想についてこちらも参照:
- 1 この2行追記。(2/11夜)
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